2015年5月4日月曜日

恋の暴力

恋って暴力だ。
恋なんて暴挙だ。
恋は暴君だ。
恋だなんて暴風だ。
恋とかもう奪略だ。

恋って暴力だ。



とんでもない。とんでもないよグザヴィエ・ドラン。
今になって『胸騒ぎの恋人』観たけれども、とんでもない。
一分の隙もなく完璧だ、打ちのめされる、完膚なきまでに、打ちのめされる。

色彩、カット、視点、角度、役者、光、色彩、目線。

なにもかもが完璧すぎて完全にやられた。

なんで?意味わかんない。
そもそも恋が暴力だということが、こんなにもこの世界で普遍であることが意味わかんない。
そのことをこんなにも痛々しいやり方で抉り出せる25歳(当時だと20歳くらいだよね)が
意味わかんない。

もう、とんでもないよ。
もう、嫌だよこんな暴力でなぎ倒されるのは。
そんな恋はしたくありません。
でもそうでなければ恋でないのかも。
そうだとするならばもうわたしは、恋はしていないのかも。できないのかも。

あのグザヴィエ演じるフランシスの美しく零れ落ちる涙のようなものが
ひとしずくも出ない30間近のわたしの「好き」など生温い、妥協の産物でしかなくて、
もう二度とあんな飛び降りるような「好き」は。

でもね。もう十分だよ。というのも本音なのよ。
20代前半で十分味わったよああいう、肌を切るような鋭い涙は。
あんなこと今やってたら持たないよ。

ああ恋なんて暴力だこわい。
どうしよう無理突入。
かといって妥協点見出しに行って振られてるし。
なんだそれ。
意味わかんない。

もう電話しようかな。彼に。
意味不明。

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2015年5月3日日曜日

こんな女を本当に親友にする気あんのか、と。どっちみちややこしいぜ

それでもあんたはわたしを親友だって言えんの、だ。

『クワイエットルームにようこそ』の大竹しのぶの甲高い声が突然脳内にこだまする。
「重いよー?生きるって重いよー?」
だったっけな。
とにかく明るく気味悪く、重い重いと叫ぶセリフだった。
うちの母は大竹しのぶが嫌いだ。

しっかし本当に面倒くさい人間だ、わたしって。
たかがちょっと同期に振られたくらいで
ここまで自己分析するか?普通。
当の彼とはたった2時間くらい朝方に楽しく会話して別れているだけなのに
(もちろんその間に振られているわけですがね)
その2時間を素材にここまで深堀する?

ああもうそんなの、本当に独りよがりで内向きだって、
ほとんどがわたしの勝手な創作だってわかっているのに
あーでもないこーでもない、と洞察して分析して相対化して言葉にする。
ややこしいこと極まりない。やめたい。いや、やめないしこれから書くけど。

まーそれもこれも、今日、重い作品ばっか見聞きしてるからなんだけどね。

夕方、グザヴィエ・ドランの『Mommy』を観てから
敬愛する西川美和監督の書き下ろし「永い言い訳」を買ってきて、
いまアイボリーの紙に並ぶ活字を舐めるようにして読んでいる。

そこでね、「父」、とか思うわけなんです。
観た映画は母親の話で、
「永い言い訳」で死ぬのは母親たちなんだけれども、
それぞれで死んだ父親、取り残された父親がだんだん、浮き上がってくる、
作品がそういう段に入って、わたしはぐわん、と

「父親。」

と思う。

「永い言い訳」に出てくる父親がトラックの運転手っていうのもあってか、
自分の、甲斐性のない義理の親父・・というか母親の再婚相手?
ステップファーザーと言うんですか?その人のことをふと思い出し。

「父親。」

と思う。

で。
ケツの青い洟垂れだった中2のわたしが、当時惚れていた中3の不良に言った言葉を思い出す、
それは彼に好かれようと思って多少格好つけた言葉だったわけですけど
「わたし父親らしき存在がどんなものかよく知らないからね」

かっ。中2が格好つけやがって。といま思い出すと辟易するけど、
でも事実そうなの。
わたし、父親なんていうものにはなんの感傷もなく
概念上、父親に該当する空間は不在のまま置きっ放し。吹き曝し。
それなのに血縁上と法律上それぞれの父親が実際には存在しているから
「いなくていいんだけど」とか、いい大人になったいまでさえ、思っちゃう。

とかいう、よくある家庭上の問題に発する屈折したナニガシみたいなもんを持っている、
ということを時々思い出す。

西川さんの文章に向き合うといつもこういう顛末になる。
いろいろ突きつけられすぎて項垂れる。

で、その拍子に2,3日前?にわたしを「親友だから」と振った同期を思い出し、
「親友だ?『父親という存在なんてわたしの人生において不在でしかないです』とか
 真顔でほざくわたしみたいな重い女と本気で親友できんのか?その覚悟あんのか?」
とか理不尽に腹を立てています。
いや、
だってあいつ、まだろくにわたしのこと知らないくせに
軽々しく「同期として友達として数少ない大切な人」呼ばわりしたよ?

んっと、翻ると、
わたしだってまだろくに彼のこと知らないくせに
「わたしあなたのことが好き」呼ばわりしたじゃないか、ってことになるんだけど
それは、わたしとしては「付き合うようになってから真剣勝負が始まる」と思ってたからであって、
まだよく知らないけど、我々の間には何かある気がするから、
あなたのことを本気で知りに行くよ?わたしのことも知ってもらうよ?
その覚悟を持って付き合ってみようよ?っていう告白だった。
だからそれはオッケー。(自分ルールww)

なんだけど、それに対して軽々しく「親友」呼ばわりしたあいつ。

それはね、彼のやさしさだということはよくわかっているわけですよ、
わたしを、「女の子として」好きではないということを
わたしを、「親友として」大好きだということとセットで伝えてくれた彼のやさしさなの。

まあ、だから流せよ、わたし。流せってば。
流せばいいのに、
友達として好きとか言われて曲がりなりにも嬉しかったからこそ
挑戦的に
「じゃあ本気で友達やる?まだまだ知らないこといっぱいあるけど、
 友達だからって容赦せずにぶつかりにいくけどいい?」
とか思ってるってことですね。

なんなのこの自己完結。
ほんっと手に負えない。

まあ、あれですよ、とどのつまり
「振られたのは振られたけど、このまま友達続けるかどうか」
という命題に戻ってきます。

あーーー!もうなんか小難しく理屈こねくりまわしてそれかよ!!!
どうしよ~やっぱちょっとまだ好きかもな~とか思ってるだけじゃねえかよ!!

あーもうどうしようもねえな。
ちょっとすっこんで西川美和監督の続き読みます、では。


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2015年5月2日土曜日

親友問題/甘えられない問題(シリーズ化の予感)

件の彼にはカラオケの精算メールを送り付けついでに
「5末ぐらいに親友枠でごはんでもいこうぜ」
とクールなメールを打った、以上。

前回、同じように親友枠の同期に突撃告白したときは
言ってしまった「好き」の魔法に自分でかかってしまい
そこからまったくの制御不能状態になり暴走。
なおかつ転勤直前だった彼とはタイミング悪く連絡つかず
告白後1週間ほどでそのまま音信不通になり、
「なんだったんだこれ。」っていう徒労感に終わった。
のだが、
今回はそのときの数倍冷静でこわい。

なんだこれ。
なんで泣いたりしないんだわたし!!

それで考えたのだが。

わたしが彼を「好き」認定したのは、
まずはもちろん親友になれるから、なのだが、
わたしの「親友」って絶対的壁の向こう側にいる人なのだ。

もうちょっと説明すると・・わたしは「親友」との付き合いもけっこうクールなんだと思う。
べたべたしない。いや、できない。

毎日とか会えない。たとえ女友達でも。毎日とか話せないし毎日とかLINEできない。
男友達ならなおのこと。
男の腐れ縁の親友(っていうか悪友だけど)との関係なんて
たまに会って悪態つくのが挨拶なわけで
「おめーのことなんて全然好きじゃねーし。」
みたいな、ある意味、中2男子みたいな意地っ張りのうえで成り立っている。

だから、去年。
死ぬほど仕事が辛くて毎日泣いて帰っていた10ヶ月の間、
友達に連絡したのはたったの3,4回。
それも同期で、自分より忙しくて修羅場な男友達。
「まじ仕事つらい」
「わかる俺もつらい」
「辞めるか」
「辞めたいねww」
だけで会話が終了できてほっとできる、信頼感のある同期、
すなわち友達である以上に仕事仲間である連中。


親友/友達に、帰り道深夜1時に電話する勇気が、わたしには、ない。

年始、「仕事仲間」からスタートした彼と、
仕事の話から始まって1時間電話でくだらないことを話したとき、
わたしのなかで彼は「親友」になった。

でも親友にさえ、深夜1時に泣きつく勇気のないわたしの場合、
彼に、週に1回でも、定期的に愚痴が言いたかったり
電話したかったり相談したかったりしたら
彼を「親友」から「彼氏」に格上げするしかやりようがないのだ。

彼氏、になってくれれば
曲がりなりにも、しんどいときは電話してもいい、みたいな、「お許し」的な感覚。
そういう免罪符的な役割として彼に「彼氏」になってほしかったのかもしれない。

それって「好き」って言っていいものなんだろうか。

いいのか、まぁきっかけはそういう、わたしの謎なコミュ障ぶりから来ていたとしても
曲がりなりにも奴の変な無邪気さとか人懐っこさとかに
きゅんとはしていたんだから、それは「好き」でいいんだよな。

そしてそもそも、定期的に愚痴が言いたい時点で、わたしのなかでは立派な「好き」だよな。
親友にはそうは思わないんだから。


でも、彼が親友枠に留まるというなら、
それは他の男友達連中と完全に同じ扱いであり、それ以上でもそれ以下でもない。
それ以上の親しい付き合いはできない。
わたくしそういうクソ不器用な人間だからーーーー。
もう二度と23時とか24時とかに甘えて電話できないよ、あくまで友達なんだもん。

これからどうすればいいんだろう・・
徹頭徹尾「あなたに片思い中」スタンスを貫いて
タガを外して甘えまくるか?
そうしないと完全にクールな男どうしの友情を築いてしまうよ・・・

彼にも、彼が慕う先輩にも、飲み屋で
「おまえは甘えないねーほんとに」
「優秀すぎ」
「一番ややこしいタイプだよww」
とか言われて、グラス片手にきょとんとしていたわたし。

「えー?甘えるってなんですか、どうすればいいんですか??」
とかワイン飲み干しながら言っている場合ではない。

もうこの状態で30なんだから、これから「甘える可愛げ」は獲得できんだろーなー。
それは恋愛でも仕事でも、なんかちょっとした十字架背負った感じだな。

はあ、面倒だ。
甘えるってなんなんだよ?まじで。

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